イスラム

イスラム教徒への偏見 イスラム教の女性はみなヒジャーブを身に着けるのか

ヒジャーブはかなりセンシティブなトピックですが、今回はクウェート生活を通じて発見したヒジャーブの色々な側面についてわたしなりの思いを皆さんと共有したいと思います。


ヒジャーブというと、多くの人がイスラム教徒の女性が髪の毛を布で覆っている「あれ」を想像すると思います。

大学生になるまでヒジャーブを被った人を見たことが無かった経験から言いますと、わたしも多くの人がそうであるようにヒジャーブのことを誤解していましたし、無知でした。

まずヒジャーブのことで誤解していたことが、「イスラム教徒の女性は皆(もれなく)ヒジャーブを着用しないといけなくて、皆(もれなく)着用しているのだろう」ということ。


クウェートへ来て驚きました。

ヒジャーブをしてないイスラム教徒のクウェート人女性、街中にたくさんいます。

夫の親戚にもたくさんいます。

それが必ずしも「その人は信仰深くない」訳でもないというのも驚きでした。

一日5回の礼拝ももれなくしっかりするし、イスラムの教えに沿って生活している人でもヒジャーブをしていない女性をたくさん知っています。


姑の話をすると、姑やおばが若いころ(中高生くらい)の写真を見ると若い女の子たちは皆ヒジャーブはしていないし、スカートも丈の短いのを履いてるし(クウェートにもツイッギーの影響があったとは驚きw)、ノースリーブで街中を歩いてたりします。

敬虔なムスリムである今の姑の姿からは想像もできないですが、それが当時の(60年代?)姿だったようです。

姑に「なんでヒジャーブを着けるようになったの?」と聞くと

「ハッジに初めて行った時以来、ヒジャーブを着けるようになった」と教えてくれました。

イスラム教の五行の一つ大巡礼(ハッジ)を経験したり、出産、特別な人の死など人生の大切な節目を境にヒジャーブを着けだす人は多いようです。

一般的には、「女の子が初潮を迎えたらヒジャーブを着ける」とわたしは思っていました。

実際どれくらいの人が初潮を迎えてから「さぁ、そろそろね」とヒジャーブを着用するのでしょう?


短いながらもこれまでのクウェート生活で分かったことは、小学校低学年くらいから家族の方針でヒジャーブを着用する人たちもいるということでした。

もしくはもっと幼く、物心つく前からヒジャーブを着けている女の子たちもいます。

公立の小学校では、ヒジャーブ着用のお祝いのパンフレットなどを配布するとも聞きました。

これは保護者の間でも賛否両論わかれているようです。

幼い女の子の話でいうと、クウェート人イスラム教徒の友人が言っていた「ヒジャーブを着けたらおじいちゃんが褒めてくれてお小遣いをくれた」というエピソードは何となくわからなくもない動機付けでした。

後々、「やっぱりや~めた」ってそう簡単にできないから大丈夫なのという感じはしました。

幸い彼女はそれ以降ずっとヒジャーブを着けていて、その選択を誇りにしています。




他にヒジャーブに関して驚いたことは、ヒジャーブを着けてるからといって決してその人がイスラムの道に沿った生き方をしているわけではないということ。

ヒジャーブがただのファッションだったり、他人の心理を操る道具になったりするのです。当たり前の様な話ですけどね。

ヒジャーブ=敬虔なムスリム=徳のある人物 みたいな偏見を持っていたのは事実です。



また、ヒジャーブに関して考えてもみなかった驚きが、今まで毎日つけていたヒジャーブをある日からいきなり取ってしまう人もいるということ。

たまにですが、そういう選択をする女性を見聞きします。

彼女の選択にわたしがどうこう言うつもりは全くありませんが、周囲はかなり動揺するようです。

最近だと、イスラム教徒のファッショニスタがヒジャーブを外すムーブメントが話題になりました。

ファッショニスタの影響力は大きく、クウェートだけでなく世界中で活躍するファッショニスタがヒジャーブを外した途端大バッシングにあって、ネットで嫌味を言われたりジャッジされることがありました。



幼いころに自分の確固たる意志ではなく家族がそうであるからとか、友達がそうしたからという理由でヒジャーブ着用の選択をした子どもたちは、成人する過程で「なにか違う」って苦しんだりする子もいるんじゃないかなと思ったりもしました。

大半の人は、何の問題もなく大人になっていくとは思いますが。




わたしはヒジャーブを着けていません。

夫には結婚前、ヒジャーブの着用は女性個人の選択なのでヒジャーブを着けるか着けないかは自分で決めてと言われました。

夫がそれとなく私にヒジャーブを着けてほしい様な素振りを見せたことはこれまで一度もありません。

夫の親戚や姑から「ヒジャーブを着けたら?」と勧められたり、それが話題になったこともありません。

かと言って、彼らがヒジャーブを軽視しているわけでもありません。

ヒジャーブの選択は完全にわたし個人に任されています。


一方で、ヒジャーブを女性の義務だと主張する人々はコーランの

『それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。』(二四章三一節)

を理由にしていると考えられます。



結婚を機にヒジャーブ着用がマストだった女性たちがいることも知っています。(彼女らの意志は別として)

ヒジャーブを着用する理由が「髪の毛の手入れが面倒だから」という人がいることも知っています。

色々な理由でヒジャーブ着用を選んだり選ばなかったりする訳です。

わたしだって今でこそヒジャーブを着けていないけど、何かの拍子にヒジャーブを着けるという選択をするかもしれません。


ヒジャーブはその人のアイデンティティであったり意思表示であったり、その人のバックグラウンドであったりと色々な面を持ち合わせています。

ボーっとモールや公園で人間観察をするときに「ヒジャーブ観察」をしてみたり、「ヒジャーブファッション」に目を向けてみるとまた面白い発見があるかもしれません。


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