マーシャーアッラー マーシャーアッラー
イスラム教徒と日ごろ接することの多い人ならご存知かもしれませんが、ムスリムはマーシャ―アッラーをよく口にします。
マーシャ―アッラーは、何かを褒めたり、感心したりするときに使うものだと理解していましたが、結婚し子どもが生まれてからは、使う機会が格段に広がりました。
それも、夫と姑の影響かもしれません😄
マーシャ―アッラーは、Evil Eyeからのお守りのようなものだと理解しています。
人々の心には、気づいていなくても妬みや、嫉妬があり(Evil Eye)、たとえ夫や自分の子どもの様な身近な存在の人であっても、「じぶんの嫉妬の目」から彼らを守るためにマーシャ―アッラー(神さまのご意志で)と言います。
イスラム教徒は、会話すればマーシャ―アッラーと口にしているくらい、よく使われるフレーズです。
熱心な信者で、会話の相手が信者の何かに対してマーシャ―アッラーと言わなかったとします。
すると、その熱心な信者は、気を悪くし、不機嫌になったり、心配になったりしてそれが表情から伺えるようになることもあります。
もしくは、マーシャ―アッラーと言われなかったものを相手にあげようとしたり、親しい仲なら「マーシャ―アッラーと言って」とお願いされることも。
相手がイスラム教徒ではなく、そのことに無知な場合は、自分でコーランのスーラを唱え、自分でも守ろうとします。
夫がよく小声で息子に向かってコーランの一節を詠んでいるのはこのためです。
イスラム教徒は、Evil Eyeから守ってくださるのは神さまだと信じていますが、あるイスラム教徒の中には、Hands of Fatimahなどを使ってEvil Eyeから身を守ろうとする人たちもいるようです。
参考にしたウェブサイトはこちら
さて、わたしが驚いたのはここから👀
子どもが生まれるまでは、マーシャ―アッラーとは口にしていましたが、相手を褒めるときに使うくらいの感覚でした。
夫を褒めると、たまにマーシャ―アッラーと言ってよと言われることもありました。
「そんな嫉妬心なんか持ってないし >.<」
と軽く冗談のように笑っていましたが、子どもが生まれると状況は一変w
姑がマーシャ―アッラー攻撃のようにわたしが息子のことを話すたびに「マーシャ―アッラーと言いなさい」と言ってきたのです。
それはもう、夫の比ではありませんでした(笑)
最初はよくわからず、「嫉妬心なんて持ってないよ。自分の子どもでしょ。」と言って姑をなだめようとしていましたが、姑の顔色は曇る一方。
メイドに対しても同じでした。
メイドが姑に、「赤ちゃんはよく食べますよ」と誉め言葉のように言うと、姑の顔色はまた曇り、「マーシャ―アッラーと言って」とお願いします。
メイドも意味も分からず、不慣れなアラビア語でマーシャ―アッラーと言われたままに繰り返します。
また、おばの話では親戚のメイドが、おばの孫が歩き始めるのが早く、とても驚いて何度も「すごい、すごい」と繰り返したことを未だに根に持ってる様でした><
フィリンピン人もただ褒めてるつもりだったのでしょうが、イスラム教徒のおばのとらえ方は違っていました。
アラブ地域で長く働いているメイドさんなら知っていたことでしょうが、仕方ありません。お互いが気持ちよく生活するには歩み寄りが必要で、相手に説明してこちらの文化を知ってもらう必要もあるかもしれません。
この様なことが何度かあり、夫ともよく話しました。
どうやらイスラム世界では、母親の自分の子どもに対するEvil Eyeは存在し、気づかないからこそ恐ろしいものだとわたしは理解しました。そして、母親の我が子に対するEvil Eyeは強そうだと。
なのでそれ以来、子どもの話をするときは必ずと言っていいほどマーシャ―アッラーと言うようになりました。
「マーシャ―アッラー、息子はハイハイができるようになったよ」
「マーシャ―アッラー、息子はリンゴを食べられるよ」
などのように😉
聞いているとおかしな話のように聞こえるかもしれませんが、これがイスラム教徒が信じていることなのです。
そして、イスラム教徒ではない人にとって、そのことを知らずに褒めちぎってしまうことはよくあることです。仕方ないと思います。誰も悪くはありません。
アラブの人たちは、褒めまくることをあまりしません。
褒められすぎると、Evil Eyeを心配するのだと思います。
最後に、マーシャ―アッラーは相手を幸せにするいい言葉だと思います。
聞いた相手は喜びます。
わたしも言われると嬉しいです。
世界中にいるイスラム教徒とお話しする機会があればぜひ、マーシャ―アッラーを使ってみてください。会話がスムーズに運ぶと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。